「遊びの場としての野外劇」第2部 講義メモ
「遊びの場としての野外劇」第1部 講義メモ
01:31:16 第2部開始
野外劇界隈はお酒などは激しい文化を持っているので、フィールドワークでは鍛えられた(梅山)
公演中は飲む?(住本)
コロナ前の水族館劇場は、お客にも残ってもらい毎日打ち上げしていた。制作的にはやめてほしい…(梅山)
ゲンロンセミナーも(有料ですが)アフターあります!(住本)
01:33:50 演劇センター68/71
後の劇団黒テントになる集団の前身
「機関紙68/71」という新聞紙大の機関紙を販売していた(新宿駅西口広場とおぼしき写真)
1968年に「演劇センター68」として自由劇場、六月劇場、発見の会が共同で発足した組織
美術家、評論家も在籍しており言語活動も盛んだった
佐伯隆幸、津野海太郎など
日英2ヶ国語の機関紙を発行
イリノイ大学で演劇研究をしていたデービッド・グッドマン、翻訳家の藤本和子などが協力していた
70年からテント芝居をはじめる
黒テントは2台のトラックでひっぱって立ち上げる大規模なテント
テントと地面との間に隙間があくため、寝泊まり時に隙間風や砂埃が入ってくるのがかなりつらい(梅山)
01:43:05 コミュニケーション計画・第ー番
集団の名称が年を追うごとに変わる
デザイナー平野甲賀から「毎年ロゴが変わるのはたまらない」とクレームが入り、「68/71」でストップした
5つの活動計画:拠点劇場、移動劇場、壁面劇場、教育・出版
01:45:14 壁面劇場
津野海太郎『おかしな時代』
イメージとしては今でいうSNSのような双方向的なコミュニケーションをしたかった?(梅山)
具体的にはどのようなところに設置しようとしていた?(住本)
町の壁面に出現させたい、という計画だったが実際には実現できていない(梅山)
計画の一つだったポスターによる街のジャックにつながっていく(梅山)
拠点劇場の「365日稼働」も実際にしていた?(住本)
毎日ではない。3人の劇作家に新作を書かせて一挙上演などの無茶なことを2年続けていた(梅山)
演劇センター自体は劇団として構想されておらず、ネットワーク機関として計画をシェアしたいと考えていた(梅山)
「評議会通信」という機関紙で活動を報告していた
愚直で真面目な人たち(梅山)
機関紙「Concerned Theatre Japan/同時代演劇」の書影
演劇にとらわれない総合文芸誌のような雑誌だった(梅山)
演劇が文化の中心にあったということが表れている(住本)
01:53:18 アングラ演劇とメディア
同時代の他の団体も必ずといっていいほど雑誌を出していた
「河原版」(状況劇場)書影
「季刊地下演劇」「天井桟敷新聞」(演劇実験室・天井桟敷)書影
その後の世代はメディア活動はあまりしていない?(住本)
面白いのが、2010年代の小劇場は自分たちの活動を上演以外の形で記録・発信する動きがある(梅山)
60年代なかばに出てきた劇団は新参者で評論界から相手にされなかったので、自分たちで評論を立ち上げる必要があった(梅山)
状況劇場「ジョン・シルバー」「続ジョン・シルバー」ポスター(横尾忠則)
本番に間に合わなかったことで有名なポスター
ポスターに情宣を期待していない(梅山)
01:59:19 『翼を燃やす天使たちの舞踏』(ポスター)
演劇センター第1回テント公演ポスター
「このつぶつぶが文字!」(住本)
公演ポスターが機関紙68/69の2号を兼ねている、しかも1号を埋め込んでいる
必要な情報が脇に追いやられている
さらに???(聞き取れず)の絵と佐藤信の写真をプリントしている。魔の4重奏(梅山)
演劇博物館で5月から佐藤信展があるがこのポスターも見られる?(住本)
これは出ない。「演劇よ死ぬな!」は出る(梅山)
B全ポスターはでかすぎであんまり出せない(梅山)
カオティックなデザインが作品の中身と共鳴している(梅山)
02:02:49 『翼を燃やす天使たちの舞踏』(劇場図面)
端的にいうと革命劇
ペーター・ヴァイス『サド公爵の演出のもとにシャラントン保護施設の演劇グループによって上演されたジャン・ポール・マラーの迫害と暗殺』の翻案
フランス革命を取材して書かれた作品
「革命は失敗する」
運動として演劇をしていつつも劇では失敗するのが面白い(住本)
60年代の終焉が見え始めた70年に生まれた作品なので、手放しに革命賛美はできない、運動する側にも革命を抑制する気持ちがあるという考えがある(梅山)
02:08:18 yokochka「第一回公演が失敗の革命劇か。」
02:02:38 ahori「三菱カラーテレビはスポンサーでしょうか???」
機関紙のスポンサーを広く集めていた
おそらく会社に関係者がいてつながっていると思われる(梅山)
02:10:27 新たなメディアの誕生
「翼…」がとくに盛り上がったのが大阪公演
関西フォークの運動と合流する流れがあった
新宿フォークゲリラも関西フォークから
「翼…」の楽曲提供に岡林信康が参加しているのもその文脈
公演をきっかけに新しいメディアが生まれた
70年 「ミュージック・レター」
「ミュージック・マガジン」の前身
71年 「プレイガイドジャーナル」
輸入物ではなく自分たちの土着の言葉を大事にする関西フォークのマインドとアングラ演劇に共鳴するものがあったのでは?(住本)
02:13:00 コミュニケーションの直接化
相倉久人『機械じかけの玉手箱―ロック時代への乱反射』
60年代のアングラムーブメントを「コミュニケーション」をキーワードに論じている
URC(アングラレコードクラブ)、エレックレコードなどのインディーズレーベルもメディアを作る運動に通じる(住本)
直接といいながらそれには限界がある、という矛盾をはらむ(梅山)
この文章(「時計じかけの…」)自体も屈折しており、ロジックになっているようでなってない(住本)
ロジックのようになっていない、というのが60年代の評論の特徴(梅山)
それが受け入れられていた時代があった、ということ(梅山)
書いている方も体で書いている。矛盾を感じ迷いつつもなにがここで新しいのかをすくい出したい(梅山)
02:19:32 叫ぶセリフの発声
セリフが絶叫していて何を言っているかわからない(梅山)
「翼を…」の上演音声
02:23:10 ahori「ひとことも聞き取れなかった…」
「よくわからないアングラ演劇を日本一うまく説明できる人間だと思っているんですけど…」(梅山)
劇中でも何を言っているのかわからない
劇評でも同様の指摘
よくわからないからこそ、自分のメディアで評論や脚本を発信する必要があった(住本)
02:25:54 60年代のグラフィティ
ノイジーでカオティックな言葉の特性が時代を感じさせる(梅山)
壁面劇場でまさに目指されていたもの(住本)
タテ看板のくずし字
分かる人にしか読めないものに変容していく
伝えたいものが高まりすぎて臨界点を超えると、よくわからないものに変わっていく(梅山)
上野昂志が肯定的に評価している
上野昂志『戦後60年』
「政治のダダイズム」
無目的化そのものが政治システムへの異議申し立てになっている
アングラ演劇のポスターの過剰さとも通じる(住本)
よくわからない永久運動として異議申し立てし続ける道もあったのかもしれない
無目的であることと続くことは矛盾しているので、難しかったかも(住本)
02:30:12 まとめ
野外劇や空間の立ち上がりかたと、言語・メディアの問題が重なり合っている(梅山)
動き続ける、運動し続ける、固定されないことが目指されていた(梅山)
02:31:28 『阿部定の犬』沖縄公演をめぐる裁判
その後の黒テント(70年代〜 当時「68/71黒色テント」)
佐藤信の作品は大人気になり1回の公演で何千人も集客するようになっていく
沖縄公演では一度許可された上演が認められず、裁判に発展
当時の沖縄への渡航そのものが困難で、資金面で苦しめられた
公有地問題という課題
02:36:29 佐藤信
enpaku 早稲田大学演劇博物館 | 「演劇の確信犯 佐藤信」
黒テント時代の社会運動でのつながりがコミュニティシアターの仕事につながる
世田谷パブリックシアター初代劇場監督
座・高円寺初代劇場監督
世田谷パブリックシアターはどのように新しかったのか?(住本)
本格的な劇場監督制の導入、学芸部というセクションを置いてアウトリーチ活動したことが先進的だった(梅本)
機関紙の発行やコミュニケーション計画の教育計画にもつながる(住本)
ゆるやかなネットワーク
全国小劇場ネットワーク
コロナ禍での取り組み
69年のアングラ演劇の状況は時代の要請で育まれた部分はあるが、当時模索したことや問われた問は時代にとらわれたものではなく、現在も追求されている(梅山)
02:44:47 鈴木忠/早稲田小劇場(SCOT)
早稲田大学のそばに小劇場を建設して活動したが、その後富山県利賀村に活動拠点を移す
利賀村は演劇の聖地になっている
『ゲンロン12』
鈴木忠は自身の作品を演劇マーケットの文脈に置こうとしない(梅山)
「自分にとって演劇は世直し」
新しい入場システム「ご随意に」
自分の作品が自己表現ではなく、誰しもが享受できるものでなければならないという発想がある(梅山)
これも60年代の問題のアップデート(梅山)
02:50:40 演出・鈴木忠/『世界の果てからこんにちはII』
SCOTの公式Youtubeチャンネルで観られる
02:54:02 yokochka「https://youtu.be/JHV-3oYLCFc 」
上演後は鏡割りをして客に酒をふるまう
02:54:34 hrchdsk「かぼちゃももらえます」
鈴木さんの芝居や身体性を押し出しつつ車椅子などもつかっていて、矛盾のようなものがある(住本)
あれは訓練(鈴木メソッド)のたまもので、それを確立したのがまさに利賀村という環境での積み重ね(梅山)
伝統工芸品のようなもの(梅山)
『ゲンロン12』のインタビューでは利賀村での野菜づくりと訓練がプロセスのあり方において重ねられている(住本)
鈴木さんは演劇だけでなく地域活動もされている(住本)
自分(鈴木)だからできた、という特殊事例に終わらせないために、他の地域や世代に継承する試みがされている(梅山)
03:01:01 水族館劇場
「もっとこってりしたのがこれから出てきます」(梅山)
青梅線羽村駅、東京都で一番小さい市と言われている羽村市にある宗禅寺に設営している
結成87年、年1回の野外特設劇場での公演を繰り返してきた劇団
大量の水を落とす演出が見せ場
03:02:04 TNMC「写真の情報量やばい」
劇団を旗揚げし、座付き作家だった桃山邑が22年に亡くなり、今年は桃山の師匠である翠羅臼の作品を制作中
60年代以降の系譜でいうと、直接的な関係はないが間接的には黒テントにつながっている
翠羅臼が黒テントの対抗として70年代曲馬館というアナーキーな演劇を行っていた。水族館劇場はその系譜
03:06:02 『NADJA 夜と骰子とドグラマグラ』映像
建設現場の足場資材を組み立ててテントを作っている 3階建てほどの高さ
03:13:03 tsk-himajin「めっちゃ下敷きになってた!」
テントの裏から撮っているので、屋台崩しの様子が映っている(梅山)
屋台崩しで最後に現実の風景を見せるのがテント芝居の醍醐味(梅山)
船をクレーンで釣り上げてテントの中に引き入れる演出
制作者の立場としては…裏の遊歩道で通行者を止めている場面(梅山)
03:17:24 tsk-himajin「頭を下げる係w」
屋台崩しはどこまで崩している?(住本)
舞台面の後ろ側だけを崩している。崩したらまた組まないといけない(梅山)
03:20:27 水族館劇場 公演の写真スライドショー
本物にはこだわるので動物は必ずワンアイテム入れる。昨年は鯉を飼っていた(梅山)
鯉の里親を募集していた
03:22:10 qpp「鯉の里親www」
場所を提供している寺はどういうスタンス?(住本)
宗禅寺の和尚が「羽村に文化を根付かせたい」という思いがあり声がかかった(梅山)
公共施設の担当者と比べて度量が大きく、単なる演劇以上の意義を信じて応援してくれる(梅山)
近年は音の問題で野外劇がやりにくくなっている(梅山)
不特定多数がお祭りのように集まること自体に拒否感がある人々が増えているように感じる(梅山)
03:29:02 hrchdsk「「炊き出しないんですか?」と聞かれるのは、意外とテント芝居のあるあるw」
サーカス研究をされている大島幹雄先生が企画したクラウンパレード
宗禅寺の和尚も参加
03:30:25 さすらい姉妹
年末年始の炊き出し場で路上芝居を恒例で行っている
寿町、新宿中央公園などで上演。近年いくつかの場所での開催は難しくなっている
世間一般からはみ出たもの、余計なものを巻き込んで水族館劇場が今日まで続いている(梅山)
03:36:12 水族館劇場次回公演「新漂流都市 桃山邑に捧ぐ」
※公演情報はこちら→ 水族館劇場
前売り券は売らない。当日券のみ
「制作の立場としてはホントやめてほしい…」(梅山)
ぜひお越しください!(梅山)
03:37:41 早稲田大学演劇博物館 特別展「演劇の確信犯 佐藤信」
enpaku 早稲田大学演劇博物館 | 「演劇の確信犯 佐藤信」
黒テントの巨大ポスター、記録映像の上映もある
佐藤さんはYMO散開コンサート記録映像の監督もしているため、そちらも上映
水族館劇場のほうへ | 桃山 邑 |本 | 通販 | Amazon
梅山いつき『佐藤信と「運動」の演劇: 黒テントとともに歩んだ50年』
03:41:35 本日のテーマと「遊び」をつなげる論点(住本さんプレゼン)
ミゲル・シカール『プレイ・マターズ 遊び心の哲学』
日常をのっとる危険でカーニバル的なものとしての遊び
劇場のような日常と区切られた場所でない場所での演劇であるアングラ演劇や野外劇は、日常に入り交じるところに面白さがあるのではないか(住本)
『ゲンロン12』 東浩紀「訂正可能性の哲学 あるいは新しい公共性について」
ウィトゲンシュタインの言語ゲーム論
最初こうしようと思っていたものが別のものになってしまう、あとから見ると「こうしようとしてたんだな」と見えてくる、という野外劇の実践につながるのでは(住本)
ハンナアレント『人間の条件』における「公共性」のふたつの定義
ハンナアレント『人間の条件』における3つの「行い(activity)」
東が取り上げる「制作(work)の行いがつくる「共通」「共同」による公共性の定義」と、野外劇がつながるのでは(住本)
アングラ演劇において、演劇のみでなく言語活動も行うという両輪を行うことによって「運動」が持続し残ってきたという点が(ゲンロンの活動とも重なる部分があり)興味深い(住本)
03:51:51 ぐだぐだについて
毎晩打ち上げをやっていた頃は、意気投合した客をスカウトしたりしていた(梅山)
そのひとのための役を作って出演させていた
思いがけない化学反応で作品が予想外の方向に展開していく
羽村でも1年目のお客さんが2年目からはもう手伝っていた
03:55:22 yokochka「高山宏さんも最初はお客さんだったのでは。」
今日の話だとパワフルな現場と思われたかもしれないが、見方を変えると自分も含めて足りない部分、弱い部分、やろうと思ってもできない部分を認めあうところも野外劇にはあるのでは(梅山)
03:59:54 質疑応答
04:00:07 アングラ演劇は公権力と戦うという運動から出てきたものだが、その後その方々が公共劇場での活動にシフトできたのはなぜか。
受け止める人の世代によっても見え方が違うのでは。私の目からすると、もともと公権力と戦うことがしたかったわけではないのではないかと考えている(梅山)
路上での投石ではなく創作活動で社会を変革していこうとその時点でシフトチェンジしていたはず(梅山)
しかし、リアルタイムで並走して活動していた人物にとっては、裏切りに見えていただろうとも(梅山)
梅山いつき、岡室美奈子『六〇年代演劇再考』シンポでのエピソード
04:00:07 金森穣さんがヨーロッパ的な観点で日本での公共劇場の流れは違うのではないかと意見しているが、梅山先生の意見は。
鈴木さんと金森さんはルーツは違うが影響を与えあっている(梅山)
鈴木さんは欧米の劇場を念頭においていたわけではないと思うが、芸術監督を置くことには鈴木さん自身の考えがあったと思う(梅本)
04:12:53 自分は演劇は多少観てきたがこれまで野外劇には触れてこなかった。情報アングラ演劇や野外劇は誰に向けられたものなのか?
水族館劇場でいうと、日本の小劇場の文脈と関わりなく活動している(梅山)
2000年代なかば演劇博物館で取り上げたことで、初めて演劇の評論とつながった
やってる当事者としてはつくってることで精一杯という感じ(梅山)
野外劇の閉じた感じはポスターなどにもあらわれている(梅山)
水族館は近藤ちはるというデザイナーが入ったきたことで広がった部分がある(梅山)
04:18:29 なぜ現代では、演劇と運動・政治的なものが離れているのか?(hrchdskさん)
04:18:29 野外劇において、「野外でやる」ということが自明視されていることの弊害についてどう考えるか(hrchdskさん)
そもそも戯曲が起点になっている演劇の発想だと、「野外である必要はない」という話になる(梅山)
水族館でもスペクタクル性に傾倒しすぎ、周囲との関係がおざなりになっていた時期があった。そのなかで集団として限界が来て規模が小さくなった。
なんらかの運動体と接続するという意思を持ち続けないと野外劇の存在意義が見えなくなる(梅山)
限定的で具体的な劇団を指してアングラ演劇と呼ばれていたのが、その後「アングラ演劇」という名前がひとり歩きしていくところがあり、70-80年代以降の「小劇場演劇」も含め、拡散のなかで運動や社会運動と離れていくようにも思う(梅山)
逆に野外の強みは?(住本)
どちらかというと、こういうことしたいのにうまくいかない、ということが多い(梅山)
どうやって劇空間が立ち上がっていくところを観客に体験させられるかなので、どれだけ未完成な部分、不完全な部分を用意できるかにかかっている(梅山)
04:34:20tokada「でも、その場所のサイトスペシフィックな環境や借景の魅力は野外劇ならではと言えそうですね」
04:32:17 劇中歌は野外劇の伝統?(ネット質問:アヒルさん)
なにがきっかけかわからないが、ほぼほぼ歌う(梅山)
歌わない集団もあることはある(梅山)
04:34:01 hrchdsk「唐さんの場合は、浅草の軽演劇がひとつルーツという気がします」
04:34:08 当時のアングラ演劇の観客はどんな人だった? そこからどう変わっていった?
70年ごろは何らかの形で革命を夢見た人が多かったようだ(梅山)
「革命が死んだ…」(「翼を…」を見た観客から漏れた声のエピソード)
黒テントはその後作風も変わらないのに世間的な評判が高まっていったが、これはおかしいと活動休止
70年代後半〜80年代にかけて、自分たちと志を同じくする運動体が見えにくくなった
そこで見出したのがアジア演劇だった(梅山)
80年代 好景気を背景にポップな若者文化として受け入れられ方が変わっていった(というのが定説)(梅山)